山口家復興まで③

水害から2か月後、長野市で家賃を出してもらえるというので、私の実家から猫2匹と共に家族4人で一戸建ての借家に引っ越しました。場所は今までの田舎から長野市役所近くの大都会(笑)になり、なんだか落ち着きません。でもどこに行くのにも近くて、気温も赤沼より2度くらい暖かい感じです。借家は築37年なので、築140年の茅葺屋根で1枚ガラスの赤沼に比べたら断然暖かくて、めちゃめちゃ快適です。 赤沼に帰りたくなくなりそうです。

たまたま同居の義弟が、長野高専の寮の食事を作る仕事をしていたので、高専の男の子たちが連日ボランティアに来てくれていました。学校もお休みだったので泥だらけになりながら活躍してくれました。やはり5年生はてきぱき動いていましたが、1年生は何をしていいのかわからない様子。この時期の5年は大きいです。

母屋が片付いた後、土蔵の床を剥いで泥を取って風通しを良くしました。物置の絶望的な量の片付けものにも取り掛かりました。洗えば使えそうでしたが、汚泥にまみれていたのですべて捨ててしまいました。おばあちゃんが漬けたばかりの瓜の粕漬の白さが悲しかったです。漬物部屋↓

物置を片づけているとき、どこかから流れてきた犬の死骸が出てきました。誰の犬なのかわからなかったので、かわいそうでしたが処分させていただきました。報道はあまりされませんでしたが、救えなかった犬がたくさんいたようなのでいつか供養できたらと思います。

庭にも大量の泥があったので、ボランティアさんの力を借りて土嚢袋に詰めて、一輪車で道端に運んでもらいました。泥は重たくて力がないととても運べません。お年寄りだけの家庭は本当に困っていたと思います。

今九州では災害ボランティアさんが足りなくて、手付かずの家がたくさんあると報道されていましたが、本当に大変だと思います。あの時に災害ボランティアさんがいなかったらと思うとぞっとします。水害の後は時間との戦いです。ましてや私たちの時はだんだん寒くなる時期でしたので、カビの生え方も緩かったですが、今はカビも臭いも大変ではないかと想像できます。一日も早く落ち着きますように。

🖌yamaguchi🖌

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