山口家復興まで④

床下の泥出しをしていたころは、まだリフォームをする予定でいました。古いけど大好きだった古民家を壊すことは考えていませんでした。ただ土壁はボロボロ、時間がたつにつれカビが目立ち、臭いも気になっていました。 幸い水道は出ていたので、高圧洗浄機の大活躍で何とか泥が落ちてきれいになりました。

せっかくきれいになったのに、柱は北に傾いていて次に地震が来たら持たないといわれてしまいました。解体費は全額出してくれるという国の方針もあり、壊す決意をしました。でもすべてゴミにするのはご先祖様に申し訳ない気がしたので、古木の買い取りをしている会社に解体を頼み、そのほかは古道具屋さんに引き取りをお願いしました。

水没前の我が家は10DKでした。最初の藁ぶき屋根の母屋は150年前に建てられた超古民家でした。過去帳に亡くなった方の没年が古いもので弘化2年(1846年)嘉永3年(1850年)と記してありました。のちに奥座敷が増築され、おばあちゃんがお嫁に来る1年前の昭和28年には2階部分が増築されました。残念なことに、大切な過去帳は片付けのどさくさにまぎれなくなってしまいました😰

その頃はリンゴの値段もよく、お金があったときに建てられたので内部の装飾も非常に凝ったものでした。 ガラスには細かい絵柄が描かれていたり、ガラスにも障子にも細木細工が施されていました。お座敷の戸棚は金色で、天井も竹が入っていたり、作り付けの戸棚類は釘ではなく木のくさびで止めてありました(水で膨らんで開かなくなった引き出しを壊してみて初めてわかりました)

これらは解体前に古道具屋さんに引き取られていきました。どこかで再利用してもらえたらとてもうれしいです😊

珍しい銅で造られた五右衛門風呂。昔はあまり水の交換をしなかったので、銅が水をきれいにしてくれたようです。板を沈めて入ります。私が嫁いだころはまだ薪を焚いていました。日本昔話のようです😅

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